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略 歴 | |
| 昭和9年3月、旧満州(現、中華人民共和国東北省)大連市に生まれ、戦後祖国に引き揚げる。 | |
| 学習院大学政経学部卒業 | |
| (株)リコ−時計の販売課長・企画課長を歴任 | |
| この間、職場や日本生産性本部のセミナ−で、販売を科学する「マ−ケティング論」と、集団を活性化する「マネ−ジメント論」や「リ−ダ−シップ論」などの経営手法を研究し、それを職場に生かし続ける。 | |
| 昭和43年、経営コンサルタントとして独立し、本田技研工業鰍フ二輪店、及び四輪店の育成と経営指導を担当し、多大の業績を挙げ、現在も活躍中 | |
| 昭和45年より、宝飾・眼鏡・時計業界よりの招聘に応じて指導活動を始め、業界紙誌への執筆で、 その明快な論旨と、先を読む洞察力が一躍注目を集め、目下、セミナ−講師、小売店、卸売店、製造業の経営指導に第一人者として活躍中 | |
| 昭和54年8月、業界紙を通じ「このままなら時計店のうち1万店が廃業に追い込まれる」と緊急提言し、業界に警笛を鳴らし話題を呼び、その後、全日本時計宝飾眼鏡商業協同組合連合会の組合員数が1万店減った段階で、再度話題を呼ぶ。 | |
| 昭和55年、通産省の「時計小売店活性化マニュアル」作成委員。 | |
| 昭和60年、日産自動車の世界各国ディ−ラ−対象の「SPマニュアル」作成スタッフとして、世界14ヶ国(東南アジア4ヶ国、中近東3ヶ国、欧州6ヶ国、米国)のディ−ラ−を臨店調査した上 で完成させ、その作品はその年の日産社長賞を受賞。 | |
| 昭和62年、63年、「全日本時計宝飾眼鏡商業協同組合連合会」顧問。 | |
| 平成6年から10年まで、東京都地場産業等構造高度化対策「貴金属製品製造業振興事業」委員。 | |
| 平成6年、千葉県時計貴金属眼鏡商協同組合「活路開拓ビジョン調査事業」委員。 | |
| 現在、潟rジョンサ−ビス社長として、経営コンサルタント業務を拡充中。 | |
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主なフィ−ルドとクライアント |
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| 自動車業界 | |
| 時計・宝飾・眼鏡業界 | |
| 宝飾・眼鏡・時計関連の製造業、並びに問屋、小売店の経営指導と教育 | |
| 本田技研工業株式会社系列ディ−ラ−の経営指導と教育 | |
| 日産自動車株式会社海外ディ−ラ−「SPマニュアル」作成スタッフ参加 | |
| 住宅業界 | |
| 住友林業株式会社・住宅本部の管理者、及び営業マン教育 | |
| 化粧品業界 | |
| ポ−ラ化粧品本舗株式会社のマ−ケティング企画、及び販売スタ | |
| 主な著暦 | |
| 雑誌「ホンダワ−ルド」経営欄に経営戦略論連載 | |
| 業界紙「時宝光学新聞」経営欄に経営戦略論連載 | |
| 宝飾専門誌「日経ジュエリ−」に宝飾店経営講座連載 | |
| 一般紙「朝日新聞」論壇欄にリ−ダ−シップ論掲載 | |
| 主な著書 | |
| 新車セ−ルスマンの「必要販売台数・必要訪問数の決め方」(業界内販売) | |
| 自動車販売店「経営内容管理指標」(業界内販売) | |
| 時計・宝飾・メガネ店「繁栄と発展のための企画書」(業界内販売) | |
| 一般紙「朝日新聞」論壇欄にリ−ダ−シップ論掲載 | |
| 専門分野 | |
| 「マ−ケティング」の構築 | |
| 「経営」の合理化と拡充 | |
| 「人材」の活性化と高度化 | |
| 「リ−ダ−シップ」の向上 | |
| 「調査」「分析」による提言 | |
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指導理念 |
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| 「掴み、創り、突っ込む」(実態をよく把握し、創造的提案を創り、情熱的に提案する) | |
| (「問題分析能力」と「未来創造能力」と「人間関係能力」の発揮) | |
| 「的確な何かを提供することにより、的確な何かを創り出せる能力 | |
| 指導姿勢 | |
| 常に困難な課題に挑戦する「たくましさ」を保ち「直言」する勇気を発揮する | |
| 常に新鮮な驚きを忘れない「みずみずしさ」を保ち「改革」に情熱を燃やす | |
| 常に他人の心の痛みがわかる「やさしさ」を保ち「活性化」の努力を怠らない | |